□子どものからだは蝕まれていた
1978年10月9日、NHKで「警告!!子どものからだは蝕まれている」という特集が放送され、日本に大きな衝撃が走りました。僕は実際にその番組を見ていないので、その内容が記載されている同じタイトルの本を入手しました。
1978年6月に東京に住む43歳の母親から1通の投書が寄せられました。
「最近の子どものからだはどうもおかしい。私たちの子ども時代に比べ、体格などは格段と向上しているのに、どうもひ弱な感じがする。すぐ息切れをし疲労を訴える。肩こり、腰痛、手足のしびれなどのほか、たわいのない原因で骨折をする・・・。こうした現象は、快適で便利さだけを追求している現代文明の副作用といえるのではないだろうか・・・」
これがきっかけとなり、NHKは「子どものからだ」プロジェクトチームをつくって、正木健雄先生を中心とする日本体育大学体育研究所の協力のもと、全国1千校の小・中・高校を対象にアンケート調査が行われました。
アンケートの内容は「最近目立つ子どもの異変」に関する43の項目で、これを養護教諭に配布したところ、10日間で89%の回答率がありました。アンケート調査の結果、特に全国的にめだつ異常として挙げられたの次の通りです。
「子どものからだ」アンケート項目
小学校 中学校 高校
1 つまづいた時などとっさに手が出ず、顔や頭にけがをする 79% 52% 41%
2 まばたきが鈍く、目にゴミや虫がはいる 67% 58% —
3 ちょっとしたことで骨折する 77% 82% 68%
4 いつ骨折したかわからない 42% 44% —
5 朝礼などバタバタ倒れる 82% 94% —
6 高血圧や動脈硬化がめだつ 14% 53% 91%
7 腰痛の訴えがめだつ 40% 88% 92%
8 土ふまずの形成が遅れ、遠足などで長く歩けない 37% 26% 26%
9 バランスをくずしたとき、踏みとどまれない 81% 70% 59%
10 棒のぼりなど足うらを使ってのぼれない 68% 43% 17%
11 神経性胃潰瘍などがめだつ 25% 62% 85%
12 肩こりを訴えるのが目立つ 79% 79% 79%
13 脊すじのおかしい子が最近めだつ 84% 85% —
14 朝からアクビをする子がめだつ 95% 92% —
15 大脳の興奮水準が低く、目がトロンとしているのがめだつ 81% 82% 70%
16 ものごとに関心を示さず、ボーッとしている 74% 76% 68%
正木先生は、アンケート調査の結果と文部省の「体力・運動能力調査報告書」を分析結果から、体幹の筋肉の弱化と大脳の活動水準の低下を明らかにし、こうした問題にストップをかけるためには「生活のリズムを取り戻し、もっと朝型にすることが一番大切」「生活の中に体全体で大きな筋力を出すような遊びや仕事を取り戻すことが必要」と指摘しています。
あれから33年、今こうした問題は改善されたのでしょうか?疑問と不安が残ります。
昨年末、全国体力テストの結果が公表され、低水準が続く子どもの体力の底上げを図ろうと、文科省は来年度「幼児期運動指針」を作ることを決めたことが報じられました。また専門家らは家庭や地域への働きかけの重要性も指摘しています。
幼児期に身体を動かせば体力テストの数値は上がるでしょうか。
また、体力テストの数値が上がれば、先に上げた子どもの異変は改善されるのでしょうか。
新聞記事では、体力テストの結果による都道府県別順位ばかりが注目され、30年前に懸念された「蝕まれた子どものからだとこころの問題」は置き去りにされている気がしてなりません。
そこで、僕は正木先生を訪ねることにしました。
僕は大学院助手時代、正木先生の講義を横でいつも盗み聞きしていたのですが、一番印象に残っているのは、体育科教育という体育専門誌の表紙と匿名の解説文を先生が匿名で書いていたことです。僕は21冊全てコピーして今でも大事にとってあります。
その内容を要約すると次の通りです。
子どものからだから体育科教育を考える」(1992.4〜1993.12)
(1)視力はのびる!(1992.4)
近いところでしか見ない生活の中で視力が伸び悩んでいる。これまで視力は小学生に入るまでにほとんど1.0以上に発達すると考えられていたが、小学校に入学した後に子供の目の8割は視力が伸びる可能性がある。視力を正確に計り、両目の視力を均等にもっと発達させよう。
(2)ボールがなぜ目に当たる?(1992.5)
最近ボールが目に当たる子が増えているという実態が急増している。日本の子どもに、距離を見積もる立体視機能の伸び悩みがあるのでは。動いている物を距離を見積もって捕まえるとか、打つという遊びが少なり、逆に距離のかわらないテレビを見る時間が増えたことで視機能が発達できないのか。子どもが注視して追うことのできるのはそれほど速いスピードではないので、距離を見積もる能力をうまく発達させよう。
(3)女性の下肢は伸びて強いか?(1992.6)
最近若者の背が高くなる一方座高はほとんど変わらない。女性の股下は男性以上に伸びているが、このスマートさは腰回りの筋肉が弱くなっていることと関係がないか心配されている。かたちのよさと働きのよさの調和が望まれる。腰と脚を強くする体育がもっと必要では。
(4)男性の体重増加はとならない!(1992.7)
女性に比べ男性の体重は異常な増え方である。男性がもっと積極的に活動するようになる体育の教材の発見が望まれる。
(5)肥満とやせ過ぎへの両極分解(1992.8)
最近の子どもは少し肥満気味ではないか、これが小児成人病にならないかと心配されている。肥満と同時にやせ過ぎの子も次第に増え始め、どちらも12歳に多い。身体が成長する時期にしっかり食べたっぷり運動してほしいもの。体との関連をいつも問うかしこい子どもを育てよう。
(6)体力アップ、運動能力ダウン!(1992.9)
「最近の子どもは体力がない」と言われるが、文部省の「体力・運動能力調査報告書」の結果では、子どもの体力は一段と高くなって、そのレベルを保っている。これは”体力つくり”の成果である。しかしその体力を運動の場面で出す運動能力は最近低下してきた。体力が運動能力として力いっぱい出せるような体育指導の工夫が必要。
(7)広がる体力のアンバランス(1992.10)
学校での「体力つくり」の取り組みによって、我が国の青少年の体力は調査史上最高の水準に達しているが、中味をみると、心肺機能やスピードは向上しているが、筋力や柔軟性は低下しており、体力のアンバランスが次第に広がっている。青少年の体力の全面発達をめざし、もっと筋力をつけたり柔軟性を高める内容の学校体育を工夫しよう。
(8)”走り幅跳び”なぜ飛べない?(1992.11)
最近の青少年は体力は高いのにその体力を運動の場面で十二分に発揮できないという特徴がある。「50m走」と「垂直とび」はどちらも高い水準にあるが、これらの力を組み合わせた「走り幅跳び」は調査至上最低の水準。どの子にも持っている力を十分に発揮させ、自信を持たせるような運動の方法を丁寧に教える体育指導の工夫が必要。
(9)柔軟性低下は世界共通?(1992.12)
我が国の青少年の柔軟性は低下の一途をたどり、今のところその低下が食い止められる気配は見られない。青少年における柔軟性の低下は他の国にも見られる。
(10)体力は保健体育の授業が週3回でアップ!(1993.1)
我が国の青少年の体力は、25年前に比べて一段と向上し、高い水準を保ったままその水準を維持している。その背景には体育の授業の頻度が大きくかかわっているようで、週3回でアップ、週1回でキープ、0回だと?
(11)忘れられていた防衛体力‐体温調節能力の低下(1993.2)
朝起きたときには体温が低くても、学校に行くと体温が上がりすぎてしまう子どもが多くなってきている。体温調整能力の低い子は、暑いところでの激しいトレーニングで熱中症になることが心配されている。一日の体温の変動が大きくなると平熱の考え方を変えなくてはならない。冷暖房の整った部屋で汗をかくこともなく、寒さの体験もしないで育った子は体温調整能力が十分に発達しない。暑さ寒さに弱いからだを守りつつ、さらに強くしていく有効な取り組みが必要。
(12)”朝礼でバタン”は自律神経の未発達(1993.3)
30年前には血圧調節機能が不良の子は大きくなると少なくなると言ってきた。自律神経が自然成長したから。ところが近年では血圧調節機能が不良の子は大きくなる多くなっていく。また朝礼でしばしば倒れた子は、全て血圧調節機能が悪い子だった。自律神経が自然成長しなくなった。行動体力を向上させても防衛体力は向上しない。これからは自律神経を発達させる工夫が必要となるだろう。
(13)土ふまずに季節変動!?(1993.4)
子どもの土ふまずは自然に形成され、小学校に入る頃にはしっかりと出来上がっているものと思われていたが、子供の土ふまずはできたり、崩れたりしながら次第にしっかり出来上がっていく。しかも春から夏にかけて崩れていくという季節による傾向が見つかっている。この時期に運動量を増やすことで土踏まずの形成率の低下を防ぐことができる。
(14)土ふまずの形成が遅くなっている(1993.5)
子どもの土ふまずは15年前には小学校卒業の頃全員にできあがるという状況だったが、最近は、それがもっと遅くなっている高層団地の子が行く学校で、男の子に土ふまずがなかなかできないと心配されている。山の子が行く学校では全員に土ふまずができているところもあり、子供の生活の中で、運動量がとても少なくなってきていることがわかる。特に男の子の心をかきたてる工夫が必要。
(15)背中に現れた異変(1993.6)
これまで子どもたちの背骨はまっすぐで背中が左右均等の子が多くいたが、最近は〈背中が少し曲がっている〉〈背中が左右対称でない〉〈背中の傾き〉〈ねじれ〉〈発育不良〉など背中に異変が見られるようになった。本人は”まっすぐ姿勢”をしようと思っている。自分では見えない背中に関心を持たせ、まっすぐな姿勢の感じをわからせる”姿勢教育”が必要。
(16)姿勢の”悪さ”と鉛筆の持ち方(1993.7)
学校で授業中の姿勢が気になる子が最近増えていると先生方が心配している。机やいすを子供の体格に合わせようとする取り組みも、背中を支える筋肉を強くしようとする取り組みも成果が上がらない。残る問題は大脳活動の強さのところと鉛筆をつまんで持てなくなったことが書く姿勢の”悪さ”の原因とつきとめられている。手の”親指”を器用にする体育の課題がでてきた。
(17)運動で熟睡を!(1993.8)
最近の子供たちはよるいつまでも眠くならず、テレビやファミコン、受験勉強など夜更かしの条件がいっぱいある。学校では「早寝早起き」を提案しているが事態がなかなか変わらない。この対策として子供たちの生活をもっと活動的にし、運動量を増やして、熟睡させるという原点にもどる必要があるだろう。
(18)頭が一番冴えるのはいつ?(1993.9)
かつては子供達の脳は朝冴えていた。だから学校の時間割は午前中に難しい勉強をやり、午後からのびのびと音楽や体育をさせようと考えて構成されてきた。ところが最近は午前中に脳が冴えている子は半数しかいない。始業前にたっぷり遊ばせたり、体育の授業で目 を覚ませるなど子どもの現状に噛み合う取り組みの工夫が必要になってきている。
(19)やる気が自然成長しない(1993.10)
”感心・意欲・態度”や”やる気”は大脳・前頭葉の働きであり、これまでこの働きは自然に育ち、やる気のしっかりとした大人になっていった。ところが近年、やる気が自然に成長せず、発達に遅れや逆戻りがみられる。特に男の子が10歳以降に伸び悩んでいる。男の子の”やる気”を9歳までに高める格別な取り組みが必要
(20)”ギャングエイジ”の異変(1993.11)
近年、子供達が”ギャングエイジ(就学前から小学4年生頃までの抑えのきかない”興奮型”が多い時代)になってもギャングになってくれない”ということが心配されている。大脳の”興奮”の強さをしっかり育てるという課題は小学校においても必要。子供時代に”取っ組み合う”ことの運動が見直され、”鬼ごっこ”的体育教材が注目されている。また子供時代にいたずらっ子であった指導者の活動が期待されている。
(21)鈍くなってしまった筋肉感覚(1993.12)
子ども達の外遊びの種類が少なくなり、習熟するまで遊びこむということも少なくなっている。このためか、筋肉感覚がとても鈍く、そして自然に発達してくれない。「うちはスイミングにいっているから大丈夫」というわけにはいかず、いろんな遊びを、たっぷり遊びこんでマスターできる条件を、学校と地域で作り出すことが必要。
そして、僕が言いたかったことは既に正木先生の書によって30年前にこう語られています。
「『体力つくり』ということで対処療法的な鍛錬を課すだけでは、こうした事態を解決していくことはできない。運動をさせるという場合にも、運動することの楽しみや技能的な向上の喜びを体験させながら、体を動かすことの快適さや運動の欲求を育てるという取り組みがなければ、実践の主体を育てることはできないであろう。(中略)運動をさせることに間口を置くとしても、そこから生活を立て直し、健全な身体感覚や欲求を育てていくという広がりのある見通しのもとでの取り組みが必要である。運動をして汗をかいたあとの心地よい疲れ、生水のうまさ、食欲感、適度な疲労による熟睡感等々、人間に本来備わっているはずの身体感覚を引き出し、目覚めさせることが、生活を充実させ、リズムのあるものにしていく基礎になるのではないだろうか。人間のそうした身体感覚は、運動によるものだけではない。早起きして冷たい水で顔を洗った後のスガスガしさ、規則的な排便後のスッキリ感、自然の食べ物の本物の味覚、ハダシで大地を踏む心地よさ、体を動かす手伝いを最後までやりとげた充実感等々、こうした健全な身体感覚や人間としていることの充実感を豊かにしていくことまで含めて、からだを育てるという問題を考えていくべきであろう。」(正木健雄編集「こどものからだを見つめる」大修館書店,1981)
今日の子どもの体力低下や心と体の問題を解決する糸口は、既にこの文章の中にあるのではないでしょうか。
また「子どものからだは蝕まれている」の中で正木先生は、当時「体幹の筋肉の弱化と大脳の活動水準の低下」の2点の問題を注視し、改善策として「生活のリズムを取り戻し生活をもっと朝型にすること、筋肉をもっと強くしていくこと」を提案しています。
大切なことは子ども期に発育段階に応じた十分な遊びや運動を行うことに尽きるのですが、この当たり前のことができないのが今の時代だということは私達は再認識する必要があると思います。